by ryuoh12 カテゴリ
以前の記事
2013年 11月 2011年 03月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2009年 12月 2008年 12月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 04月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 フォロー中のブログ
おすすめリンク
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
七里の渡しに吹き渡ってくる、 海からの風、あゆちを感じながら・・・考えた。 物の名は宇宙の叡智をひもとく鍵。物には神が宿っている。 すなわち言霊のこと。 日本人の宗教観には古くから八百万の神様がいるといわれる。 つまり万象万物に神が宿っているということと物に名前があるということとは同意語だ。 何を言いたいかというと、名を問うことによって理念を引き出す。 このときが五十音の光透波システムが活躍するときだ。 物を名として問う時、物から具象性は消え去り、本来の姿、本来の意味が立ち現れる。 つまり創造物としての神の意図を垣間見るのだ。 具象性を持った3次元的な物質として見ずに、 物を永遠の時間の中で捉え直す(4次元我をもって)。 すなわち物をシンボルとして見ると、精神的な意味(5次元)が浮かび上がってくる。 この理念と親和性のある言霊(6次元我)を発すると3次元空間は一転して7次元世界に反転する。 これが感動共感の7次元世界だ。 4次元は物を精神(心)として表現する我のこと。(四) 6次元は精神(心)を言動として表現する我のこと。(六) 8次元は存在する我、つまりメビウスの環として機能する我。(八) 漢数字の四、六には八が隠されている。 メビウスの環の存在認識こそが、あの世とこの世の境界をなくしてしまう。 つまり8次元の我という存在は、メビウスの環になっており、 一回転すると、裏側になり、もう一回転するとまた表に現れる。 図に描いて確認していただきたい。 8次元の我の存在が確立すると地上は7次元世界に変貌する。 永遠不滅の常世が現実に出現することとなる。 かつて蓬莱(ほうらい)という不老不死の仙人たちが住む桃源郷が、 ふたたびこの世界に現出することになる。 #
by ryuoh12
| 2010-05-09 00:40
光透波のセミナーに参加した。 五十音の日本語は宇宙の叡智をひもとく翻訳装置である、 というのが一貫した考え方である。 七里の渡し場にいる私は、 実は七次元世界へ渡す語り部であり、 私という存在は人生の苦しみや悲しみを経験を通して 宇宙の叡智をダウンロードする・・・。 いま、苦しみの只中にいるとすれば、 それは喜びへの反転のきっかけにすぎない。 苦しんだ分だけ喜びという報酬は大きいのだと思えばいい。 ただ気づくだけ。 気づいた瞬間、執らわれが消滅する。 苦しみから解放される。 喜びに変わる。 #
by ryuoh12
| 2010-05-08 22:44
ひさしぶりにお茶会に出ました。 お茶を飲みながら季節をめでる会には、 私以外7人は女性ばかり。 床の間の掛け軸は、 本居宣長の有名な歌です。 しきしまの やまとごころを ひととはば 朝日ににほふ やまざくら花 宣長が61歳、自画自賛像をあらわしたとき、 そのとき、ではあなたの心はと問われた。で、その答えが上記の歌・・・ 「日本人である私の心とは、 朝日に照り輝く山ざくらの美しさを知る、 その麗しさに感動する、 そのような心です」と答えた。 そして、その掛け軸の下には、 紅白の梅が卯の花といっしょに生けられている。 楚々とした卯の花といまだ蕾(つぼみ)のままの梅の花・・・。 開花した梅でなく、蕾(つぼみ)の梅だ。 桜は散り際がよい。 祭りは終わった後がよい。 最盛期をはずした頃のほうが味わいがある・・・。 そんな風流が感じられてなんだかうれしい。 鳥のひと啼きによって沈黙の世界が破られるのだが、 逆に直前の沈黙の世界が強調される。 ちょうど芭蕉の詠んだ「古池やかわず飛び込む水の音」も同様だ。 かわずが水に飛び込むことによって沈黙の世界が際立つ・・・。 静と動の反転。 日本人にしか感じ取れない美的感覚だろう。 #
by ryuoh12
| 2010-04-04 19:48
川について考えてみました。 川は山と海をつなぐもの。 川は此岸(こちらの世界)と彼岸(あちらの世界)の境目にあるもの。 皮は、内と外の境目にあるもの。 川という存在は、どうやら両極にあるものの間に存在し、ふたつをひとつにつなぐものらしい。 なんだかナゾナゾみたいですが、 よくよく考えてみると、それは「我」という存在のことを指している。 我=川 相対するふたつの存在をひとつに結びつけることができるのは、我以外の何者でもない。 こうして具体的な物事を抽象(シンボル)化して認識する思考をトポロジー的思考という。 #
by ryuoh12
| 2010-03-05 23:08
初めて3D映画というものを鑑賞しました。
あたかもその現場にいるような感覚が得られます。 しかしながら宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」、「ガンダム」といった アニメ作品をほうふつさせてしまいます。 それに「マトリックス」で描かれた仮想世界ですね。 ひとことでいえば、アバターもえくぼという感じです。 #
by ryuoh12
| 2010-02-02 21:08
| 映画
|
ファン申請 |
||