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後になってわかったのですが、 賀茂神社に祭られている神様は、 賀茂分雷神(かもわけいかづちのかみ)さまといって、 源頼朝が京都の上賀茂神社から分社してこの地に創建されたも のです。 文字通り、雷神様をまつっているわけですが、 雷神様といえば、 天と地をつなぐ光の柱であり、 地に突き刺さった剣(つるぎ)そのものです。 きっと頼朝は、照山が元熱田であったことを知っていたのかもしれません。 奇しくも頼朝は、熱田神宮の宮司さまの孫にあたります。 照山を拝するようなかたちで手前に賀茂神社を持ってきたというのは、 そうしなければならなかった事情があったのかもしれません。 さらに草薙の剣と名づけられたのは、 ヤマトタケルが焼津の葦原で敵陣に取り囲まれて、 草をなぎ払い、火を放ったことにより風向きが変わり敵を退散させたという話から 草薙の剣と呼ばれるようになったわけです。 草薙の剣は、ヤマトタケルが東征のさい、伊勢神宮にいた叔母の倭姫さまから さずかったものでした。 それ以前は、スサノオがヤマタノオロチを退治したときに尻尾から出てきた 霊剣で天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と言われていました。 その剣を天照大神に献上されたものが、 三種の神器として後世伝わってきたといわれています。 照山に元々あった剣は、 ヤマトタケル以前のものではなかろうかと思われます。 つまり照山に祭られていた時代は、 少なくとも天照大神の時代から、伊勢神宮の倭姫以前のあいだです。 熱田神宮のご祭神を調べてみますと、 熱田大神(あつたのおおかみ)になっています。 これはどういう神様かといいますと、 草薙の剣を御霊代(みたましろ)とする天照大御神です。 熱田神宮の社殿の建築様式も、女性の型になっているというのです。 男性的な建物だと思っていたのですが、そうではなかったのです。 ここまで書いてくるともうお気づきだと思うのですが、 照山は天照大神さまと関係が深いと思われます。 この地方では、 天照大神さまがお生まれになったところだとかいう説もあるそうです。 剣(つるぎ)というものは、 男性的な分割のシンボルのように思ってきたのですが、 本来、女性的な調和に向かう統合のシンボルでもあったことを思うと、 照山のなだらかな稜線は、私たちの男性的なるものよりも もっと自らの内の女性的なるものの見直しを迫っているように思います。
by ryuoh12
| 2005-09-29 01:40
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