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東北大震災で被災された皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。 20日(土)に伊勢・瀧原宮から外宮、内宮へ行ってまいりました。 二年前とは打って変わってすごい人波でした。 今の日本人の神様を求める気持ちがとっても大きくなってきているのがわかります。 今回はレアレハレのBIGMAMMYのお誘いを受けて、 「陰陽師といく伊勢神宮」という開運バスツアーのご一行様の中に参加することが出来ました。 最初に訪れた瀧原宮はヤマトヒメがひらかれたもの。 もともと伊勢神宮は元伊勢と呼ばれ京都大江から始まって、 知多半島の大野にある元伊勢をさいごに三重に渡ったもの。 この瀧原宮のあと、伊勢神宮内宮に遷宮されて天武天皇の御世に、 古事記、日本書記の編纂に合わせて、 現在の伊勢神宮とともに日本国の基礎がつくられました。 さて、日本列島は龍体とも言われ、世界五大陸の雛形とも言われていますが、 今回の被災地は日本列島の東北、丑寅の方角、鬼門です。 この一角が被災にあったわけです。 では、どこを中心にして東西南北なのでしょうか。 どうやら岐阜城がある金華山らしいのです。 さっそく昨日21日、行ってきました。 金華山は、 伊勢-白山を結ぶ南北ラインと春分と秋分の日に、 上総一宮の玉前神社と出雲の日御碕神社を結ぶレイライン、 玉前-出雲の「御来光の道」の交わるところであります。 信長はここを居城として、ここを日本の四辻と呼びました。 そしてここから天下布武の旗印を掲げました。 ご来光の道は太陽の道であり、時間軸を指します。 伊勢-白山道は海の底から山の頂まで空間軸を指します。 時空の交わるところ、それは永遠の中の今(なかいま)、 この場所から平和を守る誓いが発せられた、 天下に武を広めるという意味の天下布武の武とは、 外からの侵入に対して内なる平和を守るというこの「武」の精神本来の意味でした。 信長はこの武の精神を広げようとしたのでした。 和と武は敵対するものではありません。 心と和するもののみが心に平和を与えるのです。 心の平和を乱すこの世の価値観や欲望を持ち込んではなりません。 心は清らかな世界です。 この世を縁として生まれてきたものすべての思いは排除しなければなりません。 雑草のごとき雑念、欲念、妄念こそ除草しなければなりません。 跡形もなく焼却しなければなりません。 前後裁断、断ち切ることによって心の平和は保たれるのです。 これが草薙の剣の本意です。 そしてこのとき、心の深奥から湧出してくるものが叡智です。 黄泉の国よりこの智慧を持ち来たらすために、 ヤマトヒメはヤマトタケルに剣と火打石を手渡したのです。 智慧の王者、これが天下人たるものの所以なのです。 万物を生み出すみなもと、伊勢湾から吹いてくる「あゆち」(海からの風)、 美濃尾張に豊かさをもたらした、このあゆちの風を全国に広めんとして、 信長は天下人として立ち上がったと言えます。 穢土(えど)の仕組みは、美濃尾張・・・。 私は、金華山の頂に立って、そう思った。 はてさて、この天下布武の精神を受け継いだのが家康でした。(つづく)
by ryuoh12
| 2011-03-22 15:04
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